死んだ魚

北海道に生まれ、ずーっと、地図上の東北から下への訪問は、所謂、就職活動が初めてで、その時に東京を訪れた。

 

びっくりした。

町の大きさ、人の多さ、スクランブル交差点・・・・ではない。

駅のホームで、電車待ちをしていると、次から次と、なだれ込むように電車がプラットホームに入ってくる。

その時、中に乗車している人々の顔が、全員青白く見え、全員の目が、まるで死んだ魚の様に見えた。

 

ある車両に限った話ではなかった。

繰り返し、繰り返し、やってくる山手線が、全てそうだった。

 

数週間後、他の企業の面接で、再び、上京した。

やはり、幻覚等ではなかった。

また、みんなの表情が、青白く、死んだ魚の目をしていた。

 

 

学校の同級生に聞いてみた。

誰も、『そうそう、都会の人は、目が死んでる』等と話さなかった。

これは、自分だけの経験か。

 

 

 

入社して、三年位は、いつもニコニコしてるね  等と同僚に言われた。

自分でも、振り返ると自覚があった。あの頃は、何の責任もなく、所謂アマチュアだった。

 

気が付けば、怒ってる?と言われる方が多くなった。

難しい顔でパソコンを眺めてる。考え事に思いを巡らせる。

そんな三十代だった。

 

今は、少しだけ、職場の立ち位置が、上になった。

誰も、怒ってる?とは言わなくなった。

 

 

それでも、自分では、不機嫌な時を多々感じている自分を認識している。

愚痴を言う。

マイナスな言霊は、マイナスを運ぶと思う。

まだ愚痴をこぼさないと、心の闇を押さえられない自分がいる。

 

 

上司と反りが合わない。

上司との、議論は恐らく負けない。勝ち負けではないが、第三者は、私の意見をとってくれる。

だから、上司を批判したくないので、堪える。

だから、自然と愚痴がたまる。マイナスを自分で自分に浴びせる。そうだと思っている。

 

 

 

きっと今の私は、あの日の自分が見た、青白く、死んだ魚と同じ顔で電車に揺られている。

 

気が付けば、音楽を聴く習慣がなくなっている。

そんな時に、やっぱり心に響くメロディーと声と言葉に癒される。

 

私は、『繋がっている』事をの少しずつ理解している。

いつか出逢う自分を信じて。

 

その時は、いつもニコニコしてるね  と声をかけたい。